人生

今の自分を形作っている体験をつらつらと書いてみる

 

今回は就職活動の失敗と、海外留学した経験について書いていこうと思います。約10年前の出来事となりますが、今の自分を決定づけた経験です。

 

 

以下、長い文章になっていますので、興味のある方だけお読みください。

 

始まり

 

私が新卒で就職活動をしたのは、リーマンショックによる世界的不況と東日本大震災という未曾有の大惨事があった頃でした。そのため、就職活動は全般的に厳しいものでした。

 

 

当時の就活スケジュールでは、大学3年の10月から就活が解禁され、大学4年の4月末までに多くの企業が採用活動を終えていました。大企業の多くは5月のGWが始まるまでに内定を出し終え、それ以降は翌年の採用に向けて動き出すわけです。

 

 

大学時代、私は海外留学してみたい思いも持っていましたが、目前にある就活という大きなイベントを前にして、その気持ちはどこかに消えてしまっていました。

 

 

就活が解禁されてすぐに、世界最大の化粧品会社に書類選考を出しました。十分に練り上げた書類を企業に提出したのですが、その会社から面接に呼ばれることはありませんでした。

 

 

しかし、就活も始まったばかりであり、一緒に受けていた友人も書類選考で落とされてしまったため、あまり気にも留めず次の企業の選考に移っていきました。当時はまだ知る由もありませんが、そこからが地獄の始まりでした。

 

 

その後、数多くの企業にエントリーシートを出していきましたが、書類選考でことごとく落とされてしまったのです。大学が冬休み・春休みに入っていた時期だったので、就活の進捗を友人と共有する機会はほとんどありませんでした。そのため、自分が今どんな状況にいるか理解していませんでした。

 

 

春休みが終わって久しぶりに大学へ行くと、コトの深刻さを理解することになります。周囲からは一次面接に合格した、最終面接まで残ったなどの声が聞こえてきました。書類選考の段階で落とされたなどと話している人は、一人もいませんでした。

 

 

そんな中、私は4月の段階で書類選考を突破した企業が1社のみ。そして、その企業の面接も惨敗することになります。後がないという緊張感と焦りから言いたことを全く伝えられないまま、面接は終了してしまいました。

 

 

その結果、大学4年の4月末に持ち駒が全滅してしまう非常にヤバイ状況に陥ることになります。いわゆるNNT(無い内定)です。

 

 

前述の通り、多くの企業は5月のGWに入る前に内定を出し終えてしまい、翌年の採用活動に向けた動きを始めるので、この時期までに結果を出せていないと相当厳しい戦いを強いられることになるのです。

 

 

埋まらない差

 

5月のGW明けに学校へ行くと、就活が無事に終わった人たちは嬉しそうに内定先を報告しあっていました。三大メガバンク、外資系戦略コンサルティング企業、超有名証券会社、などなど挙げたらキリがありません。

 

 

一方、こちらは書類選考で9割以上の会社に落とされ、唯一残った会社も一次面接で敗退。5月からまた新しく企業を探し、志望動機を考え、面接を受けなければなりません。

 

 

周囲がすでにゴールインしているのに、自分だけスタートラインからやり直しというのは、精神的に相当ツライものでした。

 

 

大学4年にもなると学生の多くが必要単位を取ってしまっているので、大学で友人に会う機会はかなり少なくなります。それでも大学3年から所属していたゼミは週に一回授業があるので、通学していました。

 

 

これが本当につらかったです。ゼミは優秀な学生が多く、ほとんどが超有名企業から内定をもらっていました。その中で唯一、5月を過ぎても内定が出ていない学生がいました。密かに親近感を感じていたのですが、彼は程なくして内定を勝ち取っていました。

 

 

ついに内定が無いのは自分だけに。

 

 

この頃には、周りも気を遣って就活の話を私の前ではしなくなっていました。この気遣いも惨めな気持ちに追い討ちをかけました。。。

 

 

なんて自分はダメな人間なんだろう。元々、優秀じゃないのは分かっていたけど、ここまでデキが悪いとは。。。。

 

 

周りにも助けを求め、就職課のサポートを利用したり、先輩にエントリーシートを見てもらったりしました。ネット上でエントリシート添削のサービスをしている人に連絡をとって、直接対面でアドバイスをもらったこともあります。

 

 

様々なアドバイスをもらいましたが、要約すると、9割以上落ちてしまうようなエントリシートには思えないというものでした。そこまでクオリティが低いものを提出していないのに、なぜダメなのか。

 

 

いくら考えても答えは分からないままでした。

 

 

どうしても内定が出ない

 

片っ端から企業へ志望を出していきました。求人サイトから送られてくる求人、大学の就職課へ送付されてくる求人など、目についたもの全てに志望を出すという方法をとりました。

 

 

最初に比べると、書類選考に通過する確率は多少向上したものの、内定を取れない状況は変わりませんでした。渾身の力を込めて書いた書類も落とされる。書類選考を何とか通過しても、面接を突破できない。

 

 

自分の無能さ、無力さに絶望しました。

 

 

高校時代、私は大学に入れるか怪しいレベルの学力しかありませんでした。決死の覚悟で勉強し、それなりの大学に合格できたのですが、元々の学力は決して高くありません。はっきり言って、低いレベルだと思います。

 

 

そんな人間が、周囲と同じレベルの企業を受けられるはずはなかったのです。

 

 

身の程をわきまえて、最初から希望なんか持たなければよかった。そもそものデキが悪いのだから。生きている世界が違うのだから。

 

 

周囲と自分を比較してしまう傾向は、さらに強くなっていきました。友人たちは就活で良い成績を収め、恋人もいて、学生生活を謳歌しています。

 

 

とても賢くて、しっかりと成果を出すことができ、良い企業にも就職が決まり、学生生活の最後に海外旅行に行き、恋人と楽しく過ごしています。

 

 

一方、こっちは就活で全滅し、書類選考すら通らないのです。恋人もいないし、頭もよくない、人並みの成果すら出すことができないのです。

 

 

どうして自分はこれだけダメな人間なんだろう。。。

 

 

能力がないことはわかっているから、就活塾でも準備を進めてきたのに。。。

 

 

これから何十年も働かなくてはいけないのに、そのスタートラインにも立てていない。

 

 

面接で自分を見てもらうことすらできない。自分は社会では働けない、社会不適合者だ。そんな人間が頑張ったところでたかが知れている。

 

 

これ以上、周囲と比較して苦しみ、周りから憐みの目で見られながら生きるぐらいなら、いっそ死んだほうがマシだと思い始めていました。

 

 

結果が出ないとき、苦しいとき、長期的な視点で考えられなくなり視野がどんどん狭くなってしまいます。大学は4年で卒業できるように勉強していたので、内定がないまま卒業した場合、ニートになるしか選択肢はありませんでした。

 

 

周りの人間がまぶしいほどに順調に人生を歩んでいるのに、自分はどうしてこうも結果が出ないのだろう。。。

 

 

能力の無さに絶望し、一生懸命努力しても何も結果が出ないことに打ちのめされました。

 

 

全て自分が悪い。結果が出ないのも、恋人がいないのも、書類選考で落とされるのも。

 

 

あまりにもつらかったので、大学ではとにかく人通りが少ない道を通り、人と出会わないことだけを考え、下を向いて歩いていました。犯罪者のように身を小さくして、誰にも気づかれないように行動していました。授業ではできる限り教授から離れた位置に座り、なるべく指名されないようにしていました。

 

 

就活のことばっかり考え、涙をこらえるのに必死でした。今にも大泣きしてしまいそうな状態をギリギリのところで堪え、授業が終われば真っ先に教室から出て、逃げるように帰宅していました。

 

 

そんな自分が情けなくて、悲しくて、どうしようもなくなっていました。

 

 

この時ぐらいからでしょうか。記憶がなくなったのは。

 

 

大学4年の6月ごろから、昨日していたことが思い出せなくなりました。過去のことをほとんど記憶できなくなってしまったのです。ストレスを感じすぎていたのか、めまいを起こしたように平衡感覚が保てなくなり、何もないところなのに転んでしまったこともあります。

 

 

生きている意味が見いだせなくなり、マンションのベランダから下を眺め、飛び降りそうになる衝動を必死になって抑えていました。今思い返しても、人生でこれほどツラかったことはありません。

 

 

これほど筆舌に尽くしがたい経験をしたことは、のちの人生で何かに活きてくるかもしれないですが、正直あんな思いは二度としたくありません。

 

 

最初で最後の最終面接

 

 

時期はもう大学4年の7月。

 

 

3ヶ月後には一つ下の学年の就活が始まるという状況の中、応募を出した企業は90社近くになっていました。それでも最終面接まで進めることはなく、良くて一次面接を突破できるレベルでした。

 

 

どうしようもなくなり、知り合いが勤める会社にお願いをして選考を受けさせてもらったことがあります。正直、事業内容も全く分からず、入りたいと思える企業では全くありませんでした。しかし、これだけ落ち続けると、そんな贅沢なことは言っていられません。

 

 

とりあえず就職を決めなければなりません。就職を決めることが最優先となり、事業内容も、会社のビジョンも一切考えないまま、企業の選考を受け続ける状況になっていました。

 

 

第一志望ではないのに「第一志望です」とウソをつき、志望動機なんてないのに、なんとかしてでっち上げた志望動機を話す。片っ端から企業を受けているとそういう状況に陥ってしまいます。悪循環が悪循環を呼び、泥沼のように抜け出せなくなります。

 

 

こんな状況だったので、紹介された企業も惨敗。突破できたのは面接1回だけ。どうしても最終選考に残ることはできませんでした。

 

 

渾身の力を込めて、持てるすべての力を込めてエントリーシートを作成しても、書類選考で落とされる。面接までいけても、どうしても内定が出ない。

 

 

卒業は決定していたので、ニートになるしかない。ニートで就活を続けても、成功体験がないのに結果など出るはずがない。

 

 

どうすればいいんだ。。。

 

 

翌年の就活が2ヶ月後に迫る中、ある企業の選考を受けました。エントリーシートは何とか通過し、面接も合格。一年以上の就活の中で、初めて最終面接までたどり着きました。

 

 

これに合格すれば、地獄の就活から解放される。。。そんなことを考えながら最終面接に臨みました。

 

 

面接で思いはすべて伝えることができました。手ごたえも悪くはなかったです。面接官からは「2週間以内に合否の連絡をしますのでお待ちください。」と言われて、帰途につきました。

 

 

この面接の後、ずっと考えていました。

 

 

もしこれでだめだったらどうなるのだろう?

 

 

時期はもう8月の最終週。翌年の就職活動が解禁になるまで、残り1ヶ月となっていました。早い人はすでに就職活動を始め、書類選考や面接を経験していました。

 

 

そんな中、私は内定を得るという成功体験がないまま就職活動を続けており、この時期になってようやく最終面接まで辿り着いたのです。

 

 

このチャンスを逃したら。。。。

 

 

そんなことは想像もしたくありませんでした。

 

 

そして二週間後。企業からメールを受信しました。震えながら、開いてみると、、、

 

 

厳正な選考の結果、誠に残念ながら、今回は貴意に添いかねる結果となりました。不本意な結果となり大変恐縮ではございますが、何卒ご了承いただければ幸いです。末筆ながら、貴殿の今後益々のご活躍を貴殿の今後益々のご活躍をお祈り申し上げます。

 

 

分かってた。正直、結果は分かっていた。就活が長くなってくると次に進めるのかどうかなんて大体、肌感覚で分かってくる。良い結果は早く来るし、悪い連絡は大体遅いのです。

 

 

2週間以内に連絡しますと言われて、ギリギリまで連絡がこないのは悪い結果に決まってるのです。

 

 

このころはもう、あまりにもたくさん落ちていたので、新しく企業を受けるエネルギーが無くなっていた時でした。また書類選考から始まり、面接を何度も受ける。その繰り返しに限界を迎えつつありました。

 

 

これからの人生はどうなるのか。

 

 

そういえば、就活失敗したら人生終わりって聞いたことがあるけど、本当に終わりなのかな。

 

 

きっとそうなんだろうな。

 

 

だって俺、社会不適合者だもんな。

 

 

もう、頑張るの疲れちゃったよ。。。

 

 

転機

 

 

その後は何もする気が起きず、死んだように日々を過ごしていました。翌年の就活も解禁され、前年の就活の話題は完全に消えていました。

 

 

そんな時に一冊の本に出会うことになります。私と全く同じように就職活動で全滅した後、海外のトップ大学に留学した人の書籍でした。

 

 

その本の中で忘れられない言葉があります。

 

 

 

 

「選ばれなかった人はほかの道に選ばれている」

 

 

 

 

これが目に飛び込んできた時、涙が止まりませんでした。堰を切ったように涙があふれてきました。

 

 

就活開始から今まで、企業に応募するたびに落とされ、完膚なきまでに打ちのめされてきました。数え切れないほど悔し涙を流し、ボロボロになっていました。

 

 

選ばれない経験を何度繰り返したでしょうか。選ばれるためにどれだけの努力を積み重ねたでしょうか。

 

 

それでも、成果は出ませんでした。どうしても、何をやっても選んでもらえなかったのです。

 

 

そんな状況を、この言葉は一気に軽くしてくれました。

 

 

たった一言で人生が大きく変わることは本当にあります。

 

 

たった一言で命を救われることだってあるのです。

 

 

残されている選択肢は留学しかない。

 

 

 

留学そして著者との出会い

 

 

今までも、留学という選択肢は頭の中にないわけではありませんでした。大学時代も英語の勉強は続けていたし、海外に行って勉強してみたいという気持ちはずっと持っていました。

 

 

しかし、目前にある就活という大きなイベントを前にしてその気持ちも霞んでしまっていたのです。

 

 

この本と出会いを機に留学への思いに火をつけ、全力で走り始めました。所属していたゼミの卒業論文の執筆、留学のための英語テスト対策、志望理由をまとめた書類を一気に準備していきました。

 

 

数か月かけて書類をすべて完成させ、大学院に提出しました。願書を出した大学院は5つ。合格するかどうかは発表を見るまでわかりません。当然、すべて落ちる可能性もあります。

 

 

そうなった場合、卒業は決まっていたのでニートになるしかありませんでした。高校時代に必死の勉強を経て、それなりの大学に行ったのに、ニートになるしかない状況はあまりにも辛いものでした。

 

 

大学院への願書提出から数ヶ月が経過し、パソコンで調べ物をしていた時、偶然にも本の著者が東京に来るという情報を手に入れました。

 

 

忘れもしない、1月12日。講演会の会場へ足を運びました。

 

 

講演会では、本には書かれていない著者の人生が語られました。

 

 

どれだけの苦労してきたのか、今後の人生はどのように送ろうとしているのか、人生観やこれからの展望を語ってくれました。

 

 

印象的だったのは「使命」を見つけるという話です。「使命(命を使う)」を見つけるために何をしているか、この会場にいる人も使命を見つけてほしいと話していました。

 

 

講演が終わり、懇親会が開催されると参加者が次から次へと、直接話を聞きにいきます。私もタイミング見計らって、買った本を握りしめながら御礼を伝えにいきました。

 

 

心からの感謝を伝え、最後にサインをもらいました。「毎日、本気で。」と書かれた本は今でも宝物になっています。

 

 

ーそして、その日の夜ー

 

 

 

合格発表

 

 

 

懇親会から家に到着すると、一通のメールが届いていました。

 

 

 

 

 

 

"I'm delighted to offer you to a program of study at our university"

 

 

 

 

 

震えるほどの感動とは、このことを言うのだと思います。

 

 

 

 

 

あれだけ社会から必要ないと言われ続けて、ようやく手にした合格通知でした。

 

 

 

 

 

ようやく、ようやく私にも合格通知が届いたのです。しかもあの本を書いた人に直接お礼を言うことができた日に。

 

 

 

 

 

この日のことは決して忘れることがないでしょう。合格したのは世界でもトップクラスの大学院。世界から超優秀な人材が集まり、机を並べて一緒に勉強することができるのです。

 

 

 

 

 

何物にも代えがたい経験となるでしょう。

 

 

 

 

 

今一度、自分の人生をリセットしよう。

 

 

 

 

 

 

もう一度、海外で研鑽をつんで自分をゼロから鍛え直そう。

 

 

 

 

 

 

能力値は人よりも劣っているかもしれないが、持てる力を最大限に使って留学体験を人生最高の体験にしよう。

 

 

 

 

 

 

 

そう心に固く誓ったのです。

 

 

 

 

 

 

終わりに

 

 

 

 

 

長い長い物語を読んで頂き、本当にありがとうございました。この後、必死の努力を重ねて留学先の大学院を卒業することができました。

 

 

 

 

 

 

人生がうまくいかずに悩んでいたり、立ち上がれないほどのダメージを受けていたり、もう全てを捨てて楽になりたいって思っていたとしても、何とか踏みとどまってください。

 

 

 

 

 

 

この先、どんな出会いがあるか分からないのです。たった一言で人生が好転することだってあります。

 

 

 

 

 

 

 

だから皆さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんなことがあっても諦めないで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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